以前、電気自動車を購入してその持つ意義を考えたことがあった。

   まず、エネルギーと環境面からはガソリンなどの化石燃料を大きく消費しないし、都市部においてCO2ガスの削減につながると、いいこと尽くめであった。が、社内における冬の暖房、夏の冷房などには車を走行させるだけでなく、別途エネルギー源が必要になるという問題点があった。

     この頃は自動車は自動運転できることがコンセプトのように、各社が競い合って開発し、一部は路上の走行までこぎつけた企業もあると聞く。

    自動操縦の開発には多大な苦労があると思うが、アメリカやその他の国々と根本的に道路事情の違う日本では問題が多すぎる。というより、経済の渋滞に拍車をかけることになるのではと疑問に投げかけるのである。

   走行技術は日本の高度な技術を持つメーカーが解決してくれるだろう。しかし、問題はその先をみなければいけない。

   日本の道路はやたらと信号機が多いが発進停止の繰り返しが多いことなどではない。 速度規制である。

   現在道路を制限速度通りに走っている車は何台あるか。パトカーを見つければその走行速度がどれくらいなのかいつも測っている。制限速度通りに走っているパトカーは皆無に近い。むしろ車の流れに合すというよりやや遅い走行だ。前にパトカーがいると後に続く車は列をなしているのが現状だ。パトカー1台がいるだけでも、車は渋滞のような列を作っているのだ。

   もし、自動走行になれば運転技術はどこの責任かが現在問われているが、最高速度はどのように決定するのかはまだ議論されいない。道路に合した制限速度が走行する車に信号が送られてくることになるが、メーカーはこの制限速度を超過するような速度制御は法律上できないはずだ。と言うことは現在の交通法規にのっとっての自動走行は、のろのろ運転を強制していることになる。パトカーの1台ではない。ところどころにこの自動走行車が走るだけで、全体的的にブレーキがかかる理屈だ。トラック業界はじめ宅配便などは時間=速度との勝負であるとよく聞く。40㎞、50/時規制の道路では60㎞、70/時が一般的である?のに、その制限速度通りでしか走行できない。かといって制限速度の引き上げは周辺住民の大きな反対にあうことになることは自明の理である。

   このように考えると自動運転の自動車は、日本の経済を大きく渋滞に巻き込むのではと憂う次第である。